朝三暮四

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私はたまに職場の近くに宿を取って、
家に帰らないことがあります。
いえ、さほど業務多忙というわけではないのですが、
月曜日から金曜日まで単調な電車通勤を続けていると、
なんかこう、閉じ込められているような、
精神的に追い込まれるような感覚が
つきまとうというか・・・。
美味しいカレーライスも4日5日と食べ続けると
さすがに嫌気が差しますよね?
たまには寿司やラーメンが食べたくなります。
上手く言えませんが、そんな感じです。(苦笑)

宿泊予約サイトを見ていると、
緊急事態宣言の期限である3月7日を境に、
ホテルの値段がガクンと上がります。
というか、今までが安すぎなわけですが。
都心のど真ん中でシングル1泊3千円台とか
カプセルじゃあるまいし・・・。(汗)

今日もポカポカ陽気で
繁華街や観光地は大にぎわいのようですが、
「慌てる乞食」はなんとやら、
目の前にあるマシュマロに飛びついたがために後で大損!
なんてことにならなきゃ良いけど・・・。
渋谷のスクランブルにある大型ビジョンに、
目をひんむいてるバカ殿様の志村けんさんを
どアップで映し出したらみんなハッとするんじゃないかな~?
一本調子なお役所的自粛要請よりも
よほど訴求効果があると思うんですけどね。

「再延長」の可能性もなきにしもあらず。
そんなことになったら、本当に「アイーン!」ですよっ!
ああ、旨いもん食いてぇ。。(泣)




今日もがんばろうぜ(3)

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近所の土手にあるウメの木が満開です!(嬉)
そして私の花粉症もエンジン全開です!(泣)

やっぱりこの件、ニュースで出始めましたね。
先日は集音マイクのようなものを持った一団が居たので、
取材なんだろうな~、と思って見ていました。
↓↓↓↓↓
「相互監視」をしていがみ合うのではなくて、
それぞれみんなが、出来ることを最大限やる!
これに尽きますね。まだまだ頑張りましょう!

今日もがんばろうぜ(2)

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冷たい麦茶がおいしい季節になりました。
グラスにちょっと氷を入れて、きゅーっと。
ん~、旨い!火照った体にしみますね。
って、まだ2月なんですけど。。(笑)

先日ご紹介した「今日もがんばろうぜ」の横断幕ですが、
あれからほとんど途絶えたことが無くて、
私も出勤時にチェックするのが日課になっています。
おそらく春休み中の学生さんなのか、
ここのところ旗振りの人数が増えて
何だか嬉しくなります♪

スマホばかり見ていないで、
「あれ?だいぶ日が昇る方角が変わってきたな。」とか、
「あそこにある看板は何のお店なのかな?」とか、
ちょっとした季節の変化だったり、
細かいことに興味を持ってアンテナを張っていると
リアルの世界も面白いと思うんですけどねえ。

一応鉄道を趣味として楽しんできた身なので、
長時間電車に乗っているのは苦ではないのですが、
みんなしてお地蔵さんみたいに凝り固まって
スマホを見つめているのが、
なんか端から見ていると気持ち悪いというか、
「世も末」感が半端なくて禍々しさすら感じてしまいます。
あれが無くなればもっと居心地が良いんですけどね。
まあ無理でしょうな、皆さん精の出ますこと。(苦笑)

立ち尽くす・・・

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いやぁ、揺れましたね。びっくりした~。(汗)

夜中に洗濯機を回していたら、足下がなんかフラフラ。
ありゃ?ウチの洗濯機ってこんなに揺れるっけか?
と思っていたら建物全体がゆっさゆっさ、と。
「プイッ!プイッ!プイッ!」という
携帯電話からの警報音に戦(おのの)き、
何もできずにただただ立ち尽くしてしまいました。

停電は何とか復旧した模様ですが、
東北新幹線がかなり被害を受けているようですね。
架線柱が折れたとか伝え聞いています。

どうか、慌ててガソリンスタンドに行列つくったり、
スーパーコンビニで買い占めに走りませんように。
皆さん、落ち着いて。ご安全に!

お弁当難民

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春一番が吹いて、急に暖かくなりました。
自宅の隣にあるアパートの駐車場は
クルマがほとんど出払っています。
反対側のマンションも同じような状況です。
皆さん、陽気に誘われてこぞってお出かけのようで。

タオルケットが古くてほつれてきたので、
駅前に買いに行こうかと思っていましたが、
もう「3密必至」な光景が容易に想像がつくので、
ネットで探すことにしますね。(汗)

本当に色々なところにコロナの影響が続いています。
職場の昼休みに買い物しなくて済むように
普段は前夜のうちに弁当を買っておくのですが、
行きつけのスーパーも、周辺の飲食店が時短のため、
弁当・総菜類の「争奪戦」のような様相で、
閉店1時間前に売り切れとか有り得ないことに・・・。(涙)
もっとたくさん作れば売れるだろうに、とも思いますが、
お店側としてもマンパワーが限られているのかもしれませんね。

しばらくは、レトルトご飯にキムチ・高菜漬けの日々が続きます。
少なくともあと1箇月、この状態かぁ・・・はぁ~。

さよなら大垣夜行

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昨日の朝にデスクトップPCが届きました。
いやぁ~、静かで速くてとても快適です♪

旧機のRAMが転用できるかな?と思い確認しましたが、
残念ながら型式が合わずに断念。
しかし、OSの格上げに伴って
使えなくなるアプリケーションも発生せず、
余計な出費も無く原状回復することが出来ました。
ん~、こんなことならもう少しグレード上げても良かったな。(苦笑)

さて、表題の件。
「大垣夜行」としておなじみの東海道本線375M、
現在の「ムーンライトながら」
この春のダイ改で廃止だそうです。
あ、電車の写真はほぼ皆無なので、いつものネタでご勘弁を。(汗)

私も例に漏れず、「青春18きっぷ」利用で2回お世話になりました。
そのうちの1回は上り列車でしたね。
高校の部活動で登った北アルプスからの帰りでした。
飛騨口に下山して、バスと高山線を乗り継いで岐阜駅へ。
あ、そうそう、思い出した。
夜行に乗る前に駅周辺で居酒屋を探したけれど見つからず、
(顧問の先生がお酒を希望されたので)
やむなく駅ナカにあったファーストフード店で食事したんだっけ。
何故か店内には演歌が流れていて微妙な雰囲気だったなあ。(笑)
店の名前も、何を食べたのかも思い出せないけれど、
それだけが強烈に印象に残っていますね。

記録的な冷夏でコメが大凶作となった1993年8月、
来る日も来る日も雨にたたられた
肌寒い我が青春のメモリーでした。

ご臨終(-人-)ちーん

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昨秋から何かと調子の悪かったPCが
昨日の朝方に昇天し、約7年の生涯を閉じました。

思えば購入直後からファンの挙動が怪しく、
ウイルス感染(コロナじゃないですよ、笑)からの
OSの再インストールとなかなかの波乱万丈ぶりでしたね。
年末年始の休暇中はだましだましで何とか踏ん張ってくれましたが、
最後はファンがうんともすんとも言わなくなり、
自動でシャットダウンしてしまいました。
いやホント、お疲れ様でした。(合掌)

で、困ったのがネット環境でして、
ノートPCなどのサブ機を持っていなかったので、
「パソコンを買うためのパソコン」を探しに大手家電量販店へ。
前回購入時もそうだったのですが、
店頭はスマホやタブレットばかりで、
据え置きのPCって少数派なんですよね〜。
買い替えるなら直販サイトからと思っていました。

いつも7〜8年周期で新機導入するもんで、
すっかり浦島太郎状態で目を白黒させながら、
店員さんおすすめの「Chrome book」を格安でゲット!

帰宅して早速、セットアップと旧機HDDの
データ救出をドタバタと行い、
先ほど「Mouse Computer」の安いタワー型を無事注文完了。
ふう〜、もう夕方か・・・。

激寒な雨の週末は、こうやって過ぎて行きましたとさ。(苦笑)

今日もがんばろうぜ

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およそ3週間ぶりに出勤しました。
朝は寒いし、職場が遠いので早起きしなければならないし、
社会復帰1日目は誰でも辛いものです。

「はぁ、かったるいな~・・・。」

死んだ魚のような目で、電車の窓から河川敷を眺めていると、
そこには大きな横断幕が掲げられていました。
白地に黒の力強い毛筆体で、

「今日もがんばろうぜ!」

数人の若者達が、こちらに旗を振ってくれました。
まぶしい朝日に川面がキラキラと金色に輝き、
私の眠気と倦怠感は一気に吹き飛んでいきました。

何だか、久しぶりに「心が洗われる」光景を
テレビやネットではなく、
「リアルに」体験することが出来ましたね。

もちろん一生懸命がんばるだけで、
いまの状況が劇的に改善することはないのかもしれません。
それでも、誰かが何かをしてくれるのを待つのではなくて、
金や物や見返りを期待するものでもなくて、
社会全体がふさぎ込んでいるこの状況下で、
自分で「何かをしよう!」と思い行動に移したことが
この上なく美しいことだと感じました。

鉄道写真を撮り歩くなかで心に残る良い光景には
何度かめぐり合ってきましたが、
大袈裟かもしれませんが、
人生でそう何度も見ることが出来ない、
とても素晴らしい光景であったと思います。

若者たちよ、ありがとう!

忘却と昭和時代(あとがき)

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私達は「過去への憧憬」とどのように向き合えばよいのか?
そんなメインテーマを掲げて、
ちょっと最後は悪戦苦闘となりましたが、
全6回にわたって、「昭和時代」の考察シリーズを
お送りしてきました。

まだまだ論理として「詰め」の甘さが
見受けられる箇所も散見されるので、
読んでいただいた皆さんにきちんと真意が
伝わっているのか、些か不安もありますが、
今の時点で自分が抱えていた葛藤や疑問、
脳裏に溜まっていた澱(おり)のようなわだかまり、
そして私の目に映る世界観と今後の展望を
言葉にして網羅することが出来ました。
とりあえずは「ミッション・コンプリート」です。

今回の考察シリーズを完遂して得られたことは、
私が長年抱えてきた「イメージの刷り込み」と
それに伴う「ジレンマ」を多少なりとも解消できたことです。

5回目の記事で語った「どんなときも。」の歌詞に出てくる
「昔は良かったね」と過去を懐かしがることについて、
「本当に嫌だから」とネガティブに捉え忌避している部分が
ずっと頭の片隅に引っかかっていました。
「過去に囚われずに前へ」という姿勢に理解はありつつ、
歳を重ねていくごとに美化されていく過去を振り返り、
ロマンチシズムやノスタルジーに浸る時間は必要と考えていて、
「過去への憧憬」に抗うことは根源的には難しいであろう、と。

アマチュアカメラマンとしての“現役時代”を回想してみると、
リアルタイムで活躍していた時代を知らない若い鉄道ファンも
蒸気機関車を夢中で追いかけている姿をあちこちで
見かけることが出来ました。
また、最近テレビに出てくる若いタレントさんなどは、
「80年代のアイドル歌手が好きなんです!」とか、
「昭和初期の歌謡曲をよく聴いています。」と言って、
古いポップカルチャーにも積極的にアクセスしているようです。

時間軸や物理的障壁から自由になって、
「古い」から悪い。「新しい」から良い。ではなく、
古かろうが新しかろうが、良いものは良い。

私がいままで小難しい理屈をこねくり回して、
仏教の概念まで持ちだしてたどり着いた境地に、
彼ら若者世代は生まれながらにして
享受することができる「IT技術」を使いこなして、
物理的・時系列的な障壁を一気に飛び越えて
到達してしまっているように見受けられます。
「古い=ダサい」という固定観念は、
右肩上がり一辺倒の「昭和時代」が作り出した
遺物と化していくのではないでしょうか。

但し、それは私が行ってきた思考訓練を
否定するものには成り得ないとも考えています。
悩みながら、迷いながら、試行錯誤を繰り返して
遠回りして得た知識なり技術でなければ、
本当の意味で自分の身になったとは
言えないのではないか?
元プロ野球選手のイチローさんも、
確かそんなお話しをしていました。

これからは私も、「昔は良かったね」と思うことに対しての
罪悪感というか後ろめたさのようなものから解放されて、
心置きなくノスタルジア(郷愁)に想いをはせ、
我が「心の原風景」のなかに身を置いて、
ロマンチシズムを反芻(はんすう)することができそうです。
それを人は、「心の旅」というのかもしれませんね。

もちろんこれに満足することなく、
それこそ「執着」や「バイアス」に囚われることなく、
これから経験するであろう出来事を踏まえて、
吟味を重ねていこうと思っています。


何か、面白いこと無いかな~?

忘却と昭和時代(6/6)※長編記事

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お屠蘇気分もとっくの昔に醒めたところで、
もういい加減にこのシリーズを片付けるべく、
飲み疲れの体にむち打って、もうひと踏ん張りです。(笑)

コロナ云々以前に、この日本社会はあらゆる面で、
質・量ともに本格的な後退局面に入ったことは
間違いないのではないかと考えています。
そして、このような状況を目の当たりにして、
「昔が懐かしいな、昔に戻りたいなあ・・・。」とか、
「せめて自分が生きながらえている間だけでも
良い想いがしたいな。そのためなら他人は
犠牲にしてもしょうがないよね。」といった
後ろ向きな考え方が蔓延しているのではないでしょうか。

ここら辺で一回、頭の中をきちんと整理して
現実と対峙していく態勢を作らないと、
美空ひばりではないですが、
たゆたう川の流れに身を任せていたら、
思ってもみなかった場所に流れ着いて
気付いたら手遅れなんて事になりかねません。

常日頃思うことですが、先の大戦というのは、
粗暴かつ強欲で好戦的な人々「だけ」が起こしたわけではなく、
何となくその場の空気に合わせて、
おかしいと思った事に「おかしい」と声を上げなかった人たち、
それに「おかしい」と異を唱える人を
「非国民」として糾弾・排除した人たちも
結果的には同罪であると考えています。

例えば横断歩道を渡るとき、スマホから片時も目を離すことなく
信号機を見ることもなく周りのひとの流れに合わせているひと。
あるいは、ネットニュースで議論が白熱しているとき、
本当は自分の意見もないのに何となく帳尻を合わせて
大勢を占めるほうに加担して攻撃しているひと・・・。
大丈夫でしょうか。
きちんと自分の頭で「善悪」を判断していますか?
歌手の美輪明宏さんも今般の状況は
「戦時中と似ている。」と事あるごとに指摘されています。
私は、上記のような人たちが、今回のコロナ危機もそうですが、
予期せぬ事態に直面したときにパニックを起こして
戦争を始めてしまうのではないかと本気で心配しています。

この国が再び焦土と化して、塗炭の苦しみを味わうばかりか、
戦犯国家として十字架を背負うようなことがないよう、
坂道を転げ落ちるのではなく踏みとどまりながら、
一歩一歩着実に「降りていく」ための「知恵」
みんなで出し合っていければ・・・。
ここでは現時点で私の考えた「知恵」を披露していきます。

と、さんざん勿体ぶっておきながら何ですが、
今日はさほど目新しい話はしません。
というか、頭が悪いので出来ません。(苦笑)
去年の春に書いた「やすらぎの刻~道」の考察シリーズに
尾ひれを付けて味付けを変えて調理していく感じです。
(相変わらず前置きが長いのぉ・・・。)


*******************************

過剰に美化された「過去への憧憬」とどう向き合えばよいのか?
その答えは、
「絶対的視点」から「相対的視点」へ
と思考回路をシフトさせることと考えます。

海外に出たことがないので全くの想像ですが、
私達日本人は「相対的」な思考に慣れていないのだと思います。
とかく島国である日本に住んでいると、
自分の国を「唯一絶対の存在」として捉えることに
何の疑念も持たないようになるのではないでしょうか。
同時に他国で起きていることはどこか他人事というか、
とても遠くリアリティの薄いものに感じられます。
これは紛れもなく他国との間に「海」を隔てていることに
起因していると言ってよいでしょう。

大陸のなかで発展してきた国々では全く様相が異なります。
他国と地続きに接していることでアクセスが容易であるため、
「モノ・ヒト・カネ」の交流が活発になり、
さまざまな影響を相互に与えあっていることでしょう。
「シルクロード」などは、その盛んな交易の賜物ですよね。
もちろん良い事ばかりではないはずです。
文化・風習・価値観の異なるものどうしが擦(こす)れ合えば、
そこに何らかの葛藤や軋轢が生まれ、
やがては戦争に発展していくのは世の常でしょう。
ましてや隣国が経済的・軍事的に大国であれば、
いつ何時攻め込まれて蹂躙(じゅうりん)されてしまうか分かりません。
実際に多くの国が膨張と収縮を繰り返し、
幾つかの国や文明は滅亡していきました。

このように他国の「脅威」と常に身近に接している人々は、
「国境」などというものは、とても移ろいやすく、
相対的で不確かなものであるという感覚を
日常生活のシーンを通して無意識的に身につけていて、
危険や不確定要素と隣り合わせの環境で生きることに
うまく適応してきたのではないかと推測できます。

他国による支配あるいは介入を受けたことのある国の人々は、
概して鷹揚(おうよう=おおらかな様子)かつ楽観的で、
それでいて逆境に折れない強(したた)かさや
上手く立ち回る術(すべ)を持っているように感じられます。
ブラジル・アイルランド・インドネシアなど、
個人的感覚ですが何となくそんなイメージを
持っていますが如何でしょう?

小さくて弱い国が、隣国に侵略されないために何をするか?
例えば使節団を派遣して貢ぎ物を届けたり、
要人を招いて豪華な宴席でもてなすなどして、
(それが表向きのものだとしても)
敵意が無く友好的な関係を演出して内外にアピールしておけば、
相手とすれば言わば「楔(くさび)」を打ち込まれて、
簡単には攻めづらくなります。
また、「敵の敵は味方なり」の考え方で、
その隣国と敵対する勢力と手を結んでおけば、
相手に報復攻撃の大義名分を与えることのないよう、
軽率に手出しすることは控えるはずです。

仮に支配されたとしても、
「命まで取られるわけじゃないから。」
「いつかは終わるからその時まで待とう。」
「まあ僕たちだけじゃないからね。」
「服従したフリをしていればいいんだろう?」
常に「関係性」のなかで生きている彼等にとっては、
この世で起きる出来事はほとんどが相対的であり、
「絶対」や「永遠」のものなど無いに等しいのだと
割り切ることが出来るのかもしれません。

一方わが国では、尖閣諸島や竹島の問題で揉め事がある度に、
「日本政府は弱腰なのではないか?」
「中韓のくせに生意気だ!けしからん!」
という怒りの声が挙がり、
「中国マジ最悪!全員死ねばいいのに!」
とレイシズムに走ってしまったり、
「だから日本は駄目なんだ!」
という自己批判にも似た見解に帰結してしまいがちです。
ただ、東アジアの地図を広げてみても、
尖閣にしろ竹島にしろとても微妙な位置関係です。
双方に言い分があり、どちらか一方に決めるのは難しそうです。
ゼロか百か、丁か半か、勧善懲悪の水戸黄門よろしく、
何でも白黒付けてスッキリサッパリしたがるのは、
私達が相対的思考に慣れていない証左なのではないでしょうか。

現在の香港で起きている政治的混乱は、
小さな島国である日本にとっても決して対岸の火事ではなく、
自分事として不測の事態に備えなければなりません。
物事を相対視することで「脅威」を克服していくさまは、
実に大きなインプットを与えてくれる考え方ではありませんか。

*******************************

では、「絶対史観」から脱却して「相対的視点」を得るために、
もう少し具体的に何をしたらよいでしょうか。
ここでは次に述べる2つの感覚から
自由になることを提案したいと思います。

① 今の世の中は自分たちの力で成し遂げたものだという感覚
② こうでなければならないという感覚

上記に挙げた2つの感覚について、
こんな場面を思い浮かべてみてください。
あるスポーツ選手が、オリンピックで金メダルを獲得しました。
今まで誰も成し遂げることが出来なかった歴史的偉業です。
彼は今後、誰もがうらやむような名声と地位、
それに多額の報酬を手にすることでしょう。
そしてヒーローインタビューで歓喜の涙を流しながらこう語るのです。
「今まで支えてくれた家族やスタッフ、ファンのおかげです!」
いわゆる常套句ですよね。
マスメディア向けのリップサービスの側面もあると思いますが、
自分の力「だけ」で成し遂げたわけではないんだぞ、という
「戒め」の言葉として自身に向けているように見受けられます。
ちょっと意地悪な見方かもしれませんが、裏を返せば、
①に示した「自分の力で成し遂げた」感覚があるということですよね?
10%なのか50%なのか、あるいは80%なのか分かりませんけど、
いずれにせよ100%ではなく「相対的」なものですから、
「アイツ調子こいてるな、ムカつく!」などと言われて
ツイッターが炎上するようなことは無さそうですね。(笑)

また、最近のスポーツ選手の言動でよく聞く言葉に、
「優勝以外は全て負け。1回戦敗退も準優勝も同じ。」があります。
オール・オア・ナッシングの極端な考え方のようにも聞こえますが、
こうやって目標を高く設定することで、
日々の練習に打ち込むためのモチベーションを
維持しようとしているのではないかとも解釈できます。
もし本来の力を発揮できずに初戦敗退したとしても、
優勝以外は全て負け、と考えれば
「勝たなければならない、優勝しなければ意味が無い!」ではなく、
「みんないつかは負けて終わるんだから、一緒だよね。」
というようにプレッシャーを軽減する効果も期待できます。
一見、②に挙げた「絶対視」しているように聞こえて、
実は冷静沈着に「相対視」しているんですね。

スポーツというものは、テレビで観ているぶんには
爽やかで楽しいものですが、野球ひとつ取ってみても
結構裏では泥臭いことをやってますし、
プレーヤー目線では印象がかなり違うみたいです。
現役時代に捕手だった野村克也さんは、
相手バッターに向けて色々な言葉をささやいて、
本来の打撃をさせないように配慮していたのは有名な話です。
また関西の某球場では、ビジターの選手を挑発するために
えげつないヤジがどんどん飛び交っていて、
メンタルの弱い投手などはすぐに制球を乱してしまいそうです。
相手の嫌がることをする、リズムを崩して力を発揮させない、
「心技体」のうちの「心」の部分のせめぎ合いは、
競技のちがいはあっても、おそらく共通なのでしょう。
己のポテンシャルを遺憾なく発揮すべく、
事象を相対的に捉える訓練を意識的に、あるいは無意識的に
常日頃から行っているのではないでしょうか。

今の世の中は「自分たちの力で成し遂げたものだ」という感覚、
そして、「こうでなければならない」という感覚は、
人間であれば必ず持っているものと思われます。
金メダルを獲った例のスポーツ選手が、
「皆さんのおかげです!」と言ったからといって、
手にした報酬を1円たりとも残さずに
周囲の人々に配ったりするでしょうか?しませんよね。
程度の差こそあれ、「自分の力で獲ったんだ」と思うから
自分の懐に収めるわけです。当然のことです。
重要なことは、100%ではないこと、
すなわち「相対的」であることを
本人が認識していることと私は考えます。

*******************************

ところで、皆さんは「バイアス」という言葉を
一度は耳にしたことがあると思います。
和訳すると「偏圧」と表現できるのではないかと考えられます。
これは、ある事象について
何らかの意図を以て「手心」を加えて歪めることで、
誤った認識をすることを表す言葉です。
東北の大震災のときに、大津波が迫っていることを認識しながら、
不安や恐怖、煩わしさなどの自分にとって不都合な事実を無視して、
避難をためらったために多くの方々が犠牲になりました。
この「不都合な事実を無視させたもの(=圧力)」
「正常性バイアス」として世間に広く知れ渡りました。

ここで、先に述べた「自分たちの力で成し遂げたものだ」と
「こうでなければならない」という2つの感覚のことを、
「現状肯定バイアス」と定義したいと思います。
私は心理学に関してまったくの門外漢ですし、
実際にはこんな言葉は無いと思うのですが、
まあ「正常性バイアス」の一種と捉えてください。

どういう事かというと、自分がいま置かれている状況について、
望みどおりの結果が得られていればいるほど、
恵まれた境遇に置かれていればいるほど、
「これは自分自身の実力でつかんだものなんだ!」
「私はこの地位にいなければならない人物なんだ!」と、
その「現状を肯定したい衝動」に駆られる「圧(バイアス)」が
強くなるのではないかと考えられます。
それはちょうど「バネ」が伸びれば伸びるほど
その変位に比例して反発力が強くなるように、
儲かれば儲かるほど、出世すれば出世するほど、
「これでいいんだ!」
「ずっとこのままでいたい!」
という感覚がどんどん増幅していき、
やがてそれが極限つまり100%まで達すると、
「自分は世界で最も偉大な人物なのだ!」という絶対史観に囚われて、
傲慢かつ尊大な振る舞いで世間から顰蹙(ひんしゅく)を買うのです。
要は、ネットスラングで言うところの
「偉くなるほどバカになる。」ってヤツです。

つい先頃も、こういう御仁がいらっしゃいましたよね。
あの人・・・名前なんて言いましたっけ?
ほら、あの・・・プリンセス天功ばりのトリックで、
箱の中に隠れて海外逃亡した人が居ましたよね?
除夜の鐘がゴーン!と鳴り響く夜に!
ぎゃははははは!!(大笑)

ま、冗談はさておき、
このように「現状肯定バイアス」の虜(とりこ)となった人が、
1人か2人くらいで単独で存在しているならば、
「しょうも無い奴だなあ。」と相手にしなければいいだけですが、
厄介なのは、この手の連中がお互いに手を組んで「共同体」を作り、
自分たちの利益を最大化させるために、
なおかつその仕組みを恒常化するために組織的に活動することです。
これは社会全体に影響を及ぼすうえ、
私たち一般市民は逃げることも抗うことも
難しいのではないでしょうか。
何故なら、彼ら「現状肯定バイアス共同体」の住人たちは、
「成功者」であり政治・経済の権力中枢に
非常に近いポジションに居るか、
もしくは権力者そのものだからです。
「マイク」は彼らが持っているので、
彼らがマスメディアを通してまことしやかに語る
「自分たちにとって都合のいいストーリー」
そのまま「真実」として独り歩きを始めてしまうのです。

裸の王様たちによる「共同体」の最たるものとして、
東北大震災による原発事故のときに批判が殺到した
「原子力ムラ」があります。
巨大津波の危険性が指摘されていたにも関わらず、
「これでいいんだ!」と有効な対策を施さず、
まさに「バイアス」の本質である
「自分たちにとって不都合な情報や事実を無視」した結果が、
あのフクシマの惨状です。

このように「現状肯定バイアス」に支配され、
いまの自分が置かれた境遇は、
すべて自分自身の実力でつかんだものだと信じて疑わず、
夢見心地で悦に入っている人たちのことを
「夢から醒めない人たち」と呼ぶことにしましょう。

一番大事なことを言います。
いまの日本社会を覆っているさまざまな問題の核心部、
大本の大本は彼ら「夢から醒めない人たち」の言行に
あるのではないかと私は洞察しています。
彼らに見えている風景、そして展望はこんな感じではないでしょうか。
「戦争に負けたのは悔しかったけど、そのあと俺たちはめざましい経済発展を成し遂げて世界の覇権を獲ったと言ってもいいぐらいだよな。敗戦の悔しさはしっかりと晴らしてやったぜ。それにひきかえ、最近の若い奴らは根性なしで情けないな。お先真っ暗じゃないか。まあ、どっちみち俺たちが造った『経済大国・日本』だからな。壊すのも俺たちの自由なんじゃないかな。これからの若いもんは苦しむかもしれないけど、しょうがないだろう?もうしばらく、せめて俺の目の黒いうちは今までどおり優雅な余生を楽しませてもらうよ。」

この「現状肯定バイアス共同体」の構成員の大半は、
高齢者で占められていることは容易に想像がつきますが、
ご自身の目に入れても痛くないであろう、かわいいお孫さんたちに
豊かで希望の持てる社会を残してから旅立とうという
気概や矜持は微塵も感じられません。
最大の誤謬(ごびゅう)は、自分達がこの国を造ったんだとして
その功績を「絶対視」「特別視」してしまっていることです。

「そろそろ目を覚ましてもらっていいですか?」

中学校の歴史の授業で覚えた知識をもとに話します。
終戦のあと4~5年経った頃に朝鮮戦争が始まりましたよね?
その後もイデオロギーの対立に伴う東西冷戦構造を背景にして、
中東、ベトナムなど世界各地で戦乱が巻き起こりました。
戦争による特需で、戦後の日本経済は急激に回復軌道に乗った、と。
細かい認識の違いはあるかもしれませんが、
国外で起きていた色々な出来事が複合的に絡み合って、
強大な軍事力と経済力を持ち合わせたアメリカ合衆国の「核の傘」の下、
紆余曲折はあったにせよ多大な恩恵を受けたことは
間違いないのではないでしょうか。
授業を聞いていた私は、こんな想いを巡らせていました。
「なんだ、バブルだ何だって浮かれているけれど、
結局元をたどれば『他力本願』なんじゃん。
世界に冠たる経済大国なんて威張っているけれど、
ほんとは日本って、単体では大したことないのかなあ・・・。」
こうやって振り返ってみると、偶発的要因がとても強いというか、
たまたまそういう「風」が吹いていたという見方は出来ませんか。

先日も書きましたが、団塊の世代を中心とする
戦後日本の礎(いしずえ)を築かれた皆さんを
罵倒したり侮辱する意図は全くありません。
焼け野原の憔悴と混乱のなかで路頭に迷い、
今日明日食べるものにも不自由する環境のなかで、
汗と泥にまみれて必死に働いてくれたからこそ、
私たち現役世代は生まれながらにして何不自由することなく
豊かな生活を送ることが出来ているのです。
心から感謝し尊敬しています。

ただ、ごくごく一部の「現状肯定バイアス帝国」の領主たちが、
自らの成功体験の余韻に浸りながら、
優雅に人生を終えたいという気持ちに固執して、
自分たちだけに好都合な理論で武装した
巨大なる「要塞」のなかに立て籠もっているから、
現在のような苦境と停滞がもたらされ
多くの人々が苛まれているのです。
頑迷で愚鈍な彼らをこの要塞から解放するべく、
夢見心地の誘惑から覚醒させるべく、
重く固く閉ざされた鋼鉄の牢門の外から、
目を覚ましたみんなで大きな声を上げましょう。
そう、ちょうどトンネルの向こう側から
呼び掛けていた三平兄さん(※)のように。

「ウェイク・アップ・マン!!(目を覚ませ)」
「ア・ドリーム・イズ・オーバー!!
(夢は終わったんだよ)」

※・・・リンク記事参照「ぜんぶ夢だったんだよ」
(2020年5月10日投稿)

唐突ですが、玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう)さんを
ご存知でしょうか?今まで私も存じ上げなかったのですが、
福島県にあるお寺の住職の傍ら、多数の著作をお持ちの作家さんです。
つい先日、地元のテレビ局の番組に出演され、
仏教に関するお話しをされていたのを
ネット記事で読む機会がありました。

「諦(あきら)める」という言葉がありますが、
もともとは仏教用語で「明らかにする」という意味だそうです。
へぇー、そうだったんだ!と膝を打ちました。
(以下、一部抜粋します。)
「以前に立てていた目標に、こだわる人が多いじゃないですか。でも状況が刻一刻と変わっていますから、このままやっていいのかマズイのか、まずそれを明らかにして、無理なことについては大胆に諦めないといけないんじゃないかなという気がします。」

元記事:
【あきらめよう】玄侑宗久さん(芥川賞作家・住職)コロナ禍をどう生きる
? 明らかにし大胆に決断を(福島テレビ)

もう、「なにをか況(いわ)んや」ですよね。
太平洋戦争も、今回のオリンピックも全部これ。
1回振り上げた拳を、下ろすことをためらう習性がありますね。
竹槍でB29を撃つ!とブチ挙げてはみたものの、
サムライのプライドが邪魔して1億玉砕となったのが
つい75年ほど前のこと・・・。
そういえば1年前のダイヤモンド・プリンセス号の外国人乗客も
厚労省の後手後手ぶりを嘆いていたっけ。
「彼らは一度決めると最後まで行ってしまう。
途中で軌道修正をしない。間違いを反省しない。」と。
かくいう自分も、日頃の業務のなかで方針の変更を促されると、
「せっかく頑張って造ったのに、またやり直しかよ!」
とか言って、つい愚痴ってしまいます。
意固地でシフトチェンジが苦手なDNAを
見事に受け継いでしまってますね。
これは大いに反省しなければなりません。(汗)

*******************************

ここまで、「現状肯定バイアス」という造語を使って、
「過去への憧憬」がもたらす呪縛とその弊害を説明してきました。
「仏教」に関して、工業大学出身の私が持っている
わずかばかりの知識を動員すると、
「バイアス」と表現してきた「こうでなければならない」感覚は、
仏教で言うところの「執着」と考えることができそうです。
そしてこの「執着」から離れること、解放されることによって
人は「極楽浄土」を体感することが出来ると説いています。
また、この世を支配しているのは
「縁(えん)」であるとも言われています。
この広い地球上でアジアの小さな島国に生を受けたこと、
今後の人類の興亡を占う分岐点となる時代に生きていること、
それもひとえに物理的、時系列的にピンポイント
数奇な巡り合わせなのだ、と。
何だか鉄道写真にも似ていますよね。
このアングルで、この瞬間しかない!みたいな。

仏教の教えに触れて感じる事は、
「絶対視」から「相対視」へと舵(かじ)を切ることで、
救いや安らぎを得ることができるという
これまで考察を重ねてきた「知恵」が、
仏教をはじめとして人類が脈々と紡いできた「叡智」によって
証明されるということなのではないでしょうか。

今般のコロナ・パンデミックで、
私もいろいろと考えさせられた事が多かったですが、
もう「あの時代」をベンチマーク(基準点)にして、
眉間にシワを寄せて世の中を語るのは
いい加減やめにしようかと思います。
「あの時代」とは、高度経済成長期やバブル経済の
イケイケムードを謳歌したひと頃を指す人も居れば、
個人的に人生を振り返ったときの
「輝いていたグロリアス・デイズ」を指す人もいるでしょう。
自分にとっては、ひたすら鉄道撮影に没頭して
クリエイティブに闘い続けた数年間だったと言えます。
でも、光陰矢のごとし。もう二度と戻っては来ないんです。
「あきらめましょう!」
世間には、「こうしなければならない」とか
「こうでなければならない」ということは、
私たちが考えているほど多くないのだと推測しています。

ですから、コンビニで弁当買ったら箸が付いてなかったとか、
何でアイツはろくに仕事しないで出世しているんだとか、
いちいちイラついたりせずに・・・
まあ、時々はすると思いますけど、
全ては「縁」の成せる業だからと笑ってやり過ごして、
「執着」や「煩悩」からしっかりと
ソーシャル・ディスタンスを確保しながら、
松岡修造さんには怒られてしまうかもしれませんが、(笑)
積極的に「諦める」ことを念頭に置いて
今後の人生を歩んでいこうかと思っております。

以上、クッソ長い駄文にお付き合いいただき
ありがとうございました。

(完)

丸4日

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はぁ~、やっと書き終えた・・・。
昨秋からチンタラと書き進めてきた
「昭和時代シリーズ」の最終回を完筆しました。

足りない頭を捻りながら、丸4日格闘しました。
締めて9000字超。(驚)
長編映画に挟み込むコマーシャルのように、
ストーリーの流れを切ってしまいたくないので、
明日軽く校正したのち一気にアップします。
駄文長文ではありますが、
私の人生観を詰め込んだ渾身の一撃です。
もし良かったらお付き合いください。

さぁて、ちょっと良い酒買って祝杯あげんべよ!
今夜は飲むぞぉ~!(毎日飲んでるだろっ、笑)

古雑誌

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とうとう緊急事態宣言が間近に迫ってきました。
恐る恐る街へ出てみましたが、
駅前のカフェも家電量販店も結構な人出が。(汗)
少し郊外の公園もかなり賑わっていましたね。
当然ながらいずれも用が済んだらすぐに退散しました。

で、書店の古本コーナーを物色して
買ってきたのが「旅と鉄道」です。
1994年と1995年のものを1冊ずつ。
昔は月刊ではなく年4回の季刊誌だったのですね。

実を言うと、昨年で撮り鉄を辞めて10年の節目にあたり、
かつて「ホームグラウンド」にしていた線区の
沿線の様子が気になっていました。

「久しぶりに訪れてみようかな・・・。」

もちろん撮影目的でもなければ
GoToキャンペーンに便乗するものでもなく、
何か新しいインプットが得られればいいなという
ごくごく純粋な知的好奇心からです。
コロナ・パンデミックが小康状態になれば
レンタカーやホテルの予約を入れたのですが、
感染「第3波」の高まりによって
再訪の望みは潰えてしまいました。

そこで今回の休暇は、古雑誌を読みながら、
目的地は違えどその時代の郷愁に浸ることで、
時空を超えた「空想旅行」を楽しもうかと思います。

あ!読む前に、きちんとアルコール消毒しないとね。

総括なんて出来ないねぇ!(怒)

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プロ野球の某監督による
逆ギレ会見語録から引用して、
「今年の所感」を表現してみました。
知ってる人は知っている。(笑)

新規の陽性者が増減を繰り返していますが、
実際のところ、この日本で世界で
「本当は何が起きているのか」
詳(つまび)らかに出来る人なんて
誰も居ないのではないでしょうかね?

居酒屋やレストランなど通りすがりに、
羽目を外して騒いでいる人たちを見ると
うすら寒い気分になります。
もうみんな我慢の限界なのかなぁ・・・。
「台風一過」の忘れやすい国民性が
大惨事に繋がらなければ良いのですが。

季節や年度が変わろうとも
事態の推移はずっと連続的なものですから、
過去の出来事や経験から得た「教訓」
忘れること無く未来に生かしていかねば・・・。
歳を「区切る」ことと「忘れる」ことは
明確に区別すべきと考えます。

それを踏まえて1年間の労をねぎらい、
明日の無事と健康を祈って乾杯します。

今宵はイタリア産の「スプマンテ」を。
皆さんも良いお年を、乾杯!

冬至底冷え

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ものすごい雪が降っているようですね。
強烈な寒波が運んできた雪雲の残りかすなのか、
あるいは東京湾の海水との温度差で沸いたのか、
海から程近い我が街でも、うっすらと雲が広がっています。
「冬晴れ」と言えるほどの快晴ではなく、
時折雲が陽射しを遮るので、冷たい北風が余計に堪えます。

さて、長々とお送りしている
「忘却と昭和時代」の最終回ですが、
新年を迎えてからゆっくりと書こうかと思います。
自分の人生観というか世界観に直結する話なので、
しっかりと推敲(すいこう)して納得のいく形にするためです。
毎度毎度、もったいつけてしまいすみません。(汗)
おそらく年内は、仕事と大掃除に明け暮れることでしょう。

今日はまったりとティータイムで、しばし英気を養います。
さあ、あと1週間。寒さに負けずに働くぞぉ!

走って行って逃げて去る

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あー、忙しい・・・。
家事雑用を済ませていたら、もうこんな時間に。
師走だけに「走る」ように時間が過ぎていきます。(汗)

気が付いたら今年もあと2週間余りですね。
今回の年末年始休暇はコロナ対策のため
通常よりも長くなる見込みです。
もちろん遠出は出来ませんが、
自堕落な生活にならないように、
有意義に過ごすためのスケジュールを
今から考えておこうかと思います。

そして歳が明けたら1月は「行って」
2月は「逃げて」、3月は「去り」ます。
寒波襲来との予報が出ていますので、
しっかりと備えて乗り切りましょう。

忘却と昭和時代(5/6)

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「昭和時代にサラリーマンをやりたかった。」
という現役世代の若者がつぶやいた嘆きに端を発した
昭和時代シリーズ、今回は内容の「まとめ」です。

***********************

(内容の総括)
なぜこの若者は昭和時代への憧れを抱いているのか?

原因①
人間として普遍的に備わっている「忘却」の習性は
古今東西・老若男女を問わず共通であり、
とりわけ日本人は自らの置かれた過酷な境遇に
対峙するための危機回避能力が培われるなかで
その習性を強化してきたのではないかと推察できる。
ネガティブな感情を呼び起こす忌まわしい記憶を
「忘却」することによって心身の均衡を保つ過程で、
ポジティブな記憶・記録のほうが過大に評価され、
美化された「昭和時代」に身を置きたかったという
回帰願望につながったと思われる。

原因②
「実体」としての「出来事」
「虚構」としての「言葉」との相関関係は、
必ずしも同時発生ではなくどちらかが後発的に
認識される場合が多々ある。
近年の日本社会で生まれた
「出来事」と「言葉」の変遷を検証した結果、
出来事(事象)が先行して起こり
言葉(表象)があとから追随することで
初めて認識されるパターンのなかに、
ネガティブな表現事例が多数存在していることがわかった。
これは日本人の行動様式に根深く組み込まれた「言霊信仰」が、
「実体」と「虚構」をあたかも一心同体であるかのように混濁させて、
言葉が存在しないものは出来事も存在しないという
思考パターンを形成してきたことに
起因するのではないかと推測される。
昭和時代には、「明日は今日よりも豊かで幸せになる。」
という「希望」があり、「我慢」をすることが出来た。
今とは比べ物にならないくらい劣悪な労働環境に代表されるように、
言葉にできない嫌な感情を少なからず抱えつつも、
天秤の反対側の受け皿では、いつも「希望」の錘(おもり)
精神と肉体のバランスを保ってくれていた。
結果としてその「嫌な感情」は言葉として表現されることがなく、
「言葉が無い」イコール「事象も無い」こととして処理されてきた。
しかし、平成以降の30年余り続いた不況によって希望の錘は失われた。
今まで潜伏期間として看過されてきたネガティブな概念が、
暗い世相のなかで堰(せき)を切ったようにして押し寄せてきているため、
現状を憂い幻滅させられるのに十分な材料にあふれていると言える。

原因①によって「昭和時代は良い時代だった。」と過去を礼賛し、
原因②によって「現代は嫌なことばかりだ。」と現在に絶望する。
2つのベクトルはほぼ同方向を向いていると思われ、
それらが相互に作用することによって、
「昔は良かったね。昔に戻りたいね。」という現実逃避願望を生み、
「昭和時代にサラリーマンをやりたかった。」
という嘆きのメッセージとして体現されたと解釈できる。

***********************

事の発端となったネット記事では、
「イケイケドンドン」の昭和時代と
遅まきながらも様々な改革がなされている現在(令和)とでは
どちらが良いか?という2極対立の構図になったようですが、
当ブログではどんな社会的・歴史的背景があって
ひとりの若者に昭和時代への羨望憧憬の念がもたらされたのか、
すなわち何が彼をそう呟かせたのか、について分析してきました。

1975年生まれの筆者にとって、
「昭和」をリアルタイムで体験できたのは
物心ついてから中学1年生までの10年足らずでした。
つまり本格的に人格が形成される思春期を迎えるよりも前に
「昭和」は終わっていたわけですね。
ですから、「体験」とは言っても、
草野球やアニメ・テレビゲームであったり、
家族で行った海水浴や動物園であったり、
アイドル歌手や初恋の女の子であったり、
学校や家庭周辺の身近な出来事にまつわる
かすかな記憶や呼び起こされる感情、
それに何となく感じ取っていたであろう
言わば「時代の空気」のようなものに限られてしまいます。
たかだか40数年生きてきたなかで得た浅はかな知識と教養、
それにネット上に記録された「事実」や「記録」に、
そういった感覚的要素としての「記憶」を加味して
私なりに昭和時代を解釈して持論を展開してみましたが
いかがだったでしょうか。

そもそも論ですが、どうして1つの些細なネット記事に、
私がこれだけ過敏に反応しているのでしょう?
その理由は、私が子供の頃から抱えていたジレンマにあります。

平成初期に流行った曲のひとつに
槇原敬之の 「どんなときも。」という歌がありました。
今となっては音楽の教科書にも載っているみたいですから
誰でも知っているであろうと思います。
(あの不祥事の件で削除されているかもしれないですが。)
この曲が世に出た当時、自分は高校生でした。
日本全体がバブル景気に浮かれていた真っ最中です。
ジャパン・アズ・ナンバーワンとして
上り詰めていた時代の空気にマッチしたのでしょう、
この世の春とばかりに華やいだ大都会と
シンクロするかようにこう歌うのです。

「むかしは良かったねと いつも口にしながら
生きてゆくのは 本当に嫌だから」

うん、確かに・・・正論ではある。
当然ながら若者をターゲットにした歌ですからね、
若者はあまり過去には囚われず、
しゃにむに未来へ進めばそれでよい。
問題は「そのあと」です。
どんなに高い山の頂(いただき)に上り詰めたとしても、
必ず最後には下りなければなりません。
当時の私は部活動の登山に夢中で、
顧問の先生からは登りよりも降りの方が難しくて
事故も多いんだよ、と教わっていました。
人生のなかで避けて通れないであろう「降りる」過程で、
「むかしは良かったね」と振り返る場面って
必ず訪れるんじゃないかな?
そっちの方が大事だと思うんだけど、そこはスルーなの?
どうも腑に落ちないというか、
おかしいんじゃないか?と思いながらも、
世間知らずな高校生としては、
大人がそう言うのだから世の中ってそういうものなのかな、
くらいに捉えていました。
まあ今風に言うと「陰キャ」ですかね。
こんなことをネチネチと考えていた自分は、
当時からすると相当イケてない部類の
めんどくさい奴だったのでしょう。(笑)

あれから30年、そんな陰キャ少年も社会に出て、
見知らぬ土地に戸惑いながらも、
鉄道写真を心の支えにして会社でそれなりに働き、
公私とも浮き沈みがありつつ現在に至ります。
世間の何たるかは一応ひと通り経験してきたつもりです。
しかし、あのとき抱いていたジレンマは解消されないどころか、
我が人生のメインテーマとも言うべき課題として増幅されて
立ちはだかっているのではないかとさえ感じています。

日々伝わってくるニュースからは、
過去の栄光や成功体験からなかなか抜け出せずに
イノベーションを起こせずに手をこまねいている現状を
扱うものが多く、枚挙に暇がありません。
今の世の中を見渡してみると、誰がどう考えても
「昔は良かったね」と思わざるを得ない状況なのではないでしょうか。
総人口もGDPも右肩下がりの展望は明らかでしょう。
どこまでも上を見て突き進むことのほかに、
どう考えても「ジリ貧必至」な現状にフィットした
マインドセットが必要なのでは?
ですから私は、
「昔は良かったね」は「本当に嫌だから」と忌避すべき衝動ではなく、
逃げずに向き合わなければならない重要課題と認識しています。
あ、別に槇原さんをディスっているわけではないですよ。
「どんなときも。」は間違いなくあの時代を彩った名曲です。

では、具体的に私達は「過去への憧憬」にどう向き合えばよいのか?
次回こそは最終回(笑)として、現時点の私の見解を述べたいと思います。

偏頭痛

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ここ最近、体質が変わってきたのか
偏頭痛と肩こりに悩まされています。
さほど激しい痛みではないのですが、
ふと思い出したように鈍い頭痛と倦怠感があります。
あとは何故か体温が低いんですよね。
今までに経験のない症状なので不気味です。
何なんでしょうね、これ?

初めのうちは風邪なのかな?と思ったのですが、
いっこうに収まらないので近いうちに病院行った方が
良さそうですね・・・と言った矢先にコロナの第3波が。(汗)

まあ、無理をしなければ仕事や日常生活に支障は無いので、
体を温めたり首マッサージで血行を良くしたりして
しばらくは様子を見ることにします。

今夜から冷え込むみたいですね。
とうとう晩秋から初冬に差し掛かります。
皆さんもどうかご自愛ください。

早めの大掃除

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おひさです。ちょっとサボってました。(笑)
今日は若干フライング気味ですが、
年末大掃除の前哨戦でベランダ清掃を。
1年間に溜まった泥をデッキブラシで
ゴシゴシ掻き出していました。
年末にもう1回仕上げをやります。

しかし快晴続きでホントに気持ちいいですね。
掃除して、洗濯して、飯食って、
ふと空を見上げれば美しい夕暮れ・・・。
これだけで十分です。

さて、感染拡大が続くなかで物議を醸している
「GoToキャンペーン」ですが、
ほぼほぼ私の予想どおりの展開に
なっている場所もある模様です。
↓↓↓


ヤフコメ欄に書いている方もいらっしゃいますが、
「安いから行く」部類の人たちが押しかけることで、
本来のサービスが提供出来なくなってしまった典型的な事例かと。
価格帯を高く設定することで保持されてきた
客層の「棲み分け」がおかしくなってしまったんですよね。
だから言わんこっちゃない・・・。

兎に角、こういう事態になって一番苦しむのは
最前線で働いている従業員の方々ではないでしょうか?
拙速に利益確保に走ったがために
社員が辞めてしまったり、
常連客が離れてしまうことも考えられます。

経営者がサービスの「本質」を理解しているのかどうか、
誰のおかげで経営が成り立っているのか、
その企業の資質が浮き彫りになりますよね。

偉そうな事を言ってしまいましたが、
かつては年間50~60泊くらい、
個人経営の鄙(ひな)びた民宿から
おしゃれな高級シティホテルまで、
さまざまな「宿」を味わってきた筆者としては、
一言いわずには居られませんでした。

(関連記事)
「ノブレス・オブリージュ」
(2020年7月19日投稿)

宿泊施設なり飲食店なり、
本当に支援したいと思っている人は、
値段が高くても喜んでお金を払うはずなんですけどね・・・。
それが出来なくなってしまったのだとしたら、
世の中の仕組みの方を少し疑ってしまいますね。

忘却と昭和時代(4/6)

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ちょっとご無沙汰ですが、昭和時代シリーズの4回目です。
前回お話ししたように、「出来事」と「言葉」が生まれる時には
微妙なタイムラグが発生している場合があります。

パターン1:「出来事」と「言葉」がほぼ同時に生まれる場合
パターン2:「言葉」が先に生まれ、後から「出来事」を認識される場合
パターン3:「出来事」が先に生まれ、後から「言葉」が充当される場合

では、実際に出来事(事象)なり言葉(表象)なりが生まれて来るときに、
そのタイムラグがどのように影響を及ぼして
どのように事象認識が変わったのでしょうか?

一見混沌とした現代用語の世界ですが、
「帰納(きのう)」と「演繹(えんえき)」という言葉があるように、
何らかの標準化やモデル化を行うことによって、
規則性というか傾向のようなものを
見いだすことができるのではないかと考えました。

ここでは、私の肌感覚で世間一般に定着したと
思われる言葉を無作為にピックアップしたうえで、
これらの言葉が冒頭のパターン1~3のどれに
当てはまるのか仕分けて分析していきます。

●現代に創出された言葉
DV(ドメスティックバイオレンス),LGBT,PDCA,WLB(ワークライフバランス),イップス,イラッと,インスタ映え,上から目線,エゴサーチ,草生えた,クラウド,ゲリラ豪雨,限界集落,ご飯論法,自己肯定感,自撮り,熟年離婚,ジワる,草食男子,忖度,ただ乗り,チャラい,詰んだ,ディスる,デトックス,特殊詐欺,同調圧力,名ばかり管理職,爆買い,爆弾低気圧,働き方改革,パワースポット,ブラック企業,マインドセット,マウンティング,○○女子,○○ハラ(セクハラ・パワハラなど),○○力(鈍感力など),○活(婚活・終活など),無茶ぶり,無理ゲー,(話しを)盛る,やりがい搾取,レガシー,レジェンド,ワンチャン

抽出に際しては、2018年に改訂された
「広辞苑」の追加語として発表されたものを中心に、
ユーキャン流行語大賞の過去受賞作や
私自身の感覚で近年の社会的動向とリンクしていると
判断した言葉を幾つか付加しました。
持論を展開するのに都合の良いワードだけを
恣意的に偏重して採用することがないように
十分配慮したつもりです。たぶん。(汗)
(んん~、大丈夫かな・・・苦笑)

上記リストの現代語が、冒頭のパターン1~3の
どれに当てはまるのか、分類した結果がこちらです。

パターン1:「出来事」と「言葉」がほぼ同時に生まれる場合
熟年離婚,ジワる,爆弾低気圧,ゲリラ豪雨,限界集落,草食男子,特殊詐欺,インスタ映え,エゴサーチ,名ばかり管理職,爆買い,働き方改革,クラウド,自撮り,草生えた,チャラい,詰んだ,ディスる,ワンチャン

パターン2:「言葉」が先に生まれ、後から「出来事」を認識される場合
○○女子(鉄子・歴女など),○○力(鈍感力など),○活(婚活・終活など),LGBT,PDCA,WLB(ワークライフバランス),自己肯定感,デトックス,パワースポット,マインドセット,レガシー,レジェンド

パターン3:「出来事」が先に生まれ、後から「言葉」が充当される場合
上から目線,イップス,無茶ぶり,無理ゲー,(話しを)盛る,DV(ドメスティックバイオレンス),イラッと,ご飯論法,同調圧力,やりがい搾取,忖度,ただ乗り,ブラック企業,マウンティング,○○ハラ(セクハラ・パワハラなど)

まずパターン1は、まさに世相というか社会現象を
反映したものが多く、ネガティブなものも含めて
文明の変革や進歩によってもたらされた
ダイレクトな反応として「潮流」を感じ取ることができます。

対してパターン2は、「何かに導かれている」印象があります。
すなわち外部から新しい概念が提唱されて、
これまでとはひと味違った考え方や生活様式へと
私達を「誘導」していくイメージです。

一方でパターン3については、2との境目が曖昧に
感じられるものがとても多く、分類するのにかなり迷いました。
「えっ?逆じゃないの?」と言う方もいらっしゃると思いますが、
判断基準としたのは「言い得て妙」の感覚があるかどうか、
事象として認識していながら言葉にならず
モヤモヤを抱えていた時間があったかどうか、です。
「セクハラ」や「モラハラ」なんてまさにそれですし、
「上から目線のマウンティングにイラッと」したことなんて
過去の記憶をたどっていくと
一度や二度ではないのではないでしょうか。
このように、「それな!」と思えたものはパターン3で、
その印象が無いものはパターン1または2としました。

で、やっぱりというか予想どおりというか、
パターン3には何となくドロドロとした嫌な感じの「言葉」が
たくさん集約されてしまいました。
どうしてこのような結果になったのでしょうか?
通勤電車に揺られて職場に向かう時間や
カフェオレを飲みながらくつろいでいるときに
ずーっと考えていましたが、
なかなか突破口が見つかりませんでした。

しかし、あるとき不意に「言霊(ことだま)」という
言葉が私の脳裏をよぎり、徐々に霧が晴れてきました。

八百万(やおよろず)の神という言葉があるように、
私たち日本人の間では森羅万象つまりこの世の万物には
「魂」が宿っていると信じられてきました。
親や先生から具体的に何かを教わったわけではないのですが、
太古の昔から培われた言霊信仰は
日常生活のなかに浸透した慣習によって
ほぼ無意識的に私達のDNAに組み込まれていて、
実体を伴わない言葉(表象)が、
実体を伴う出来事(事象)に対して
何らかの影響力を持つと考えられてきました。
ですから、とんねるずの石橋貴明は「帝京魂!」を連呼するし、
結婚式のスピーチでの「切る」は禁句ですし、
受験生の前で「落ちる」もNGワードなのです。(笑)

これとは反対に、「表象」と和訳される
「リプレゼンテーション(Representation)」を生んだ
西洋哲学では、実体(リアル)虚構(言論)とを
きっちり区別しているように見受けられます。

ちょうど今、アメリカ大統領選挙の闘い真っ最中ですが、
候補者どうしの舌戦もさることながら、
党内の候補者選びの段階からかなり激しい討論が展開されて
丁々発止でバチバチにやり合いますよね?
同じ党内でも過激・中道・穏健の派閥はあるのでしょうが、
もう一生クチも聞いてもらえなさそうな
激しいやり取りのあとに平然と笑顔で握手していたりして、
日本人目線だとちょっと考えられないな、と。
あれは、「言葉は言葉であって、実体とは一線を画するものだ。」
という潜在的な意識がそれを可能にしているのではないかと
推測しています。

もちろんこれはどちらが良い悪いという話ではありませんが、
「言霊信仰」の思考回路のなかでは実体と虚構との間に
明確な線引きがないというか、
混濁しているという解釈が出来るのではないでしょうか。
まあ、相反するものを分け隔てするのではなく、
受け入れて共存しようというのは
いかにも日本的だなあ、とは思いますが・・・。

「リアル空間と言論空間に明確な区別が無い。」

これはつまり、
「言葉が存在するものは実体を認識する。」
「言葉が存在しないものは実体も認識しない。」
という思考アルゴリズムに直結します。

時は昭和時代の真っ只中、
高度経済成長の坂道をまっすぐに駆け上がっていた頃です。
上司に激しく叱責されながら深夜残業を強いられても、
理不尽にお茶汲みをさせられながらお尻を触られても、
当然のことながら当時はセクハラ・パワハラなどの
「言葉」は無かったので、それらの「実体」は無いことになっていた。
それを許容できたのは「明日への希望」があったから。
右肩上がりが当たり前の世の中だったから。

「明日はもっと豊かで幸せになるのだから、今は我慢しよう。」

ところが、マツコさんが言うように
「いまの時代は明日への希望が無くなったことが大きい」わけです。
希望が無くなって、我慢が出来なくなってきた。
“あのとき”言葉に出来なかった「モヤモヤ」が、
不良債権のごとく溜め込んだドロドロのマグマのように
今まさに一気に噴出しているのです。

新しく生まれる「言葉」にネガティブな表現が多いのは、
「昭和時代」に幸せや豊かさの「先食い」をした代償として、
今になって「ツケが廻ってきた」ということが
言えるのではないでしょうか。
そして、居酒屋やスナックならばツケは本人が支払いますが、
この「ツケ」を支払わされるのは、
高度経済成長期にもバブル経済期にも直接の恩恵を受けず、
決して多くない給料の中から重い税金を納め、
将来自分たちが受け取れるかどうか分からない年金で
高齢者たちを支える現在の若者を中心とした現役世代たちです。
(当ブログ筆者も含む。)

その若者たちの一人が、当時を羨ましく思い、
「昭和時代にサラリーマンをやりたかった。」
と嘆く事は十分理解の範疇ですし、
頭ごなしにやれ「贅沢言うな」とか「現実を直視しろ」と
罵るのは無慈悲・無理解が過ぎるのではないかと思います。

最後に誤解が無いように一言。
戦後の焦土から立ち上がり、現在の日本を造り上げた
「団塊の世代」をはじめとした現在の高齢者の方々を
私は心から尊敬し感謝しています。
私達が生まれながらにして衣食住に不自由することなど殆ど無く、
便利で快適な生活を謳歌できるのは、
皆さんの頑張りに依るところが大きいと確信しております。
「お前らが美味しい思いしたんだから、
ちゃんとツケを支払ってくれよ。」
などと、責める気持ちなど一切ありません。


次回は、まとめとしてこのシリーズ記事を書いてみた所感と、
将来の展望などを語ってみようかと思っています。

ふぅ~、ようやく「峠」を越えたなあ・・・。(汗)

(関連記事)
忘却と昭和時代
昭和時代にサラリーマンをやりたかった
忘却の習性は普遍的かつ不変である
出来事と言葉の相関について
言論空間とリアル空間(←今回記事)

天誅!?

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いやぁ~、参りました。
こないだの日曜日に急にネットが繋がらなくなり、
擦った揉んだあげくサポートセンターのお世話に。
幸いPCもモデムも故障ではなく、
内部的なエラーが発生していたとの事でした。
ふぅ、焦った。やれやれ・・・。
念のため後でバックアップ取っておくかな。

てっきり前回の投稿で、「GAFAから離れましょう」とか
言ったのでグーグル先生が怒ってしまって、
「ざけんなコラァ!そんなに離れたいなら使えなくしてやるよ!二度と来るんじゃねえ!!」
と天誅が下されたのかと思いました。
って、お隣の監視国家じゃあるまいし。(笑)

ちなみにサポート担当者の方の話では、
今回の症例はとても珍しいらしく、
スマホからの検索で解決につながったようでした。
「やっぱりグーグル先生は大事ですね。」と、
別れ際に2人で合点したのでした。(苦笑)

ということで一件落着。
グーグルさんを疑ってしまい申し訳ございません。
今後も適切にネット利用させていただきます。適切に。