未知との遭遇(2/2)

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皆さんこんにちわ。

年が明けましたね。
まあ、年が明けたからって、急に景気が良くなったり、
体が健康になったりするわけではないですからねぇ。
特に変わることは無いですよね。

「震災を風化させてはいけない!」と言いながら、
一方で「平成最後の○○」をやたらと連呼していたり・・・。
年末には「忘年会」という行事もありますが、
元号やら年度やらが変わっても、
歴史は連綿と紡がれていくわけで、
あまりキッチリ区切りすぎて、
忘れてしまうことが多いのもどうかと思います。

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一寸間隔が空きましたが、前回の続きです。

そうそう、大事な事を言い忘れていましたね。
要は、「未知との遭遇に終わりはあるのか?」ということです。
自然科学のさまざまな法則が証明するように、
「エネルギーの総量」は変わらないのだから有限であると考えるのか?
いや、人体は神秘の小宇宙だから可能性は無限大なのだと考えるのか?

私はというと、以前の記事からも推察できるように「有限派」ですね。
シャッターを押すことは、命を削るような
エネルギーを要する作業ではないかと考えます。
だからこそ「やり尽くした」と思えるのです。
ただ、完全にゼロか?と言われると、そんなわけではないんですよね。
やろうと思えば、チョボチョボで撮り続けることは可能です。
そこが引っかかっているのです。
今後年齢を重ねるにしたがい、
完全なるゼロに収斂(しゅうれん)するのか、
限りなくゼロの状態がずっと続くのか、
ゼロになったと見せかけて実は別の場所にはあるのか、
あるいは非科学的な挙動で増えたり減ったりするのか?

ところで、今どき趣味やスポーツに意欲的なシニアの方って、
どういう感覚なのでしょう?
若い時期に高度経済成長の真っ只中を経験した彼等は、
仕事一筋に埋没していて趣味などの自己実現活動を犠牲にしてきた。
そして、退職後の余生にその反動がきているのでしょうか?
それとも多忙な毎日を謳歌することが悦びであって、
現役時代と同様に「休むことを知らない」生活をしたいだけなのでしょうか?

音楽やファッションの世界もよく解りませんよね。
大まかな音楽のジャンルとしては、
クラシック・ジャズ・ポップス・ロック・ヒップポップ等ありますが、
例えばクラシックとロックの融合で「これは凄い!」と感嘆していても、
やがてその「ニッチ」は「普通」になっていき、
またその「ニッチのニッチ」が開発されていって、
しまいには「これは何のジャンルでもない!
○○(アーティスト名)なんだ!」とか言い出す始末・・・。(笑)
もはやグリッドの網目を突くことは不可能となり混沌としています。
最後はいったいどこへ向かうのでしょうか?
洋服のことはまったくの門外漢ですが、
端から見ているとラフなものとフォーマルなものが
手を替え品を替え交互に出てきているだけで、
「創造と破壊」という永遠に続く振り子運動のようにしか見えません。

とりあえず現在の自分の見解をうだうだと書き綴ってみました。
いい感じに「思索の無限回廊」に迷い込んでいますね。
お金のかからない”脳内旅行”を今後も続けていきましょう。(笑)