忘却と昭和時代(あとがき)

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私達は「過去への憧憬」とどのように向き合えばよいのか?
そんなメインテーマを掲げて、
ちょっと最後は悪戦苦闘となりましたが、
全6回にわたって、「昭和時代」の考察シリーズを
お送りしてきました。

まだまだ論理として「詰め」の甘さが
見受けられる箇所も散見されるので、
読んでいただいた皆さんにきちんと真意が
伝わっているのか、些か不安もありますが、
今の時点で自分が抱えていた葛藤や疑問、
脳裏に溜まっていた澱(おり)のようなわだかまり、
そして私の目に映る世界観と今後の展望を
言葉にして網羅することが出来ました。
とりあえずは「ミッション・コンプリート」です。

今回の考察シリーズを完遂して得られたことは、
私が長年抱えてきた「イメージの刷り込み」と
それに伴う「ジレンマ」を多少なりとも解消できたことです。

5回目の記事で語った「どんなときも。」の歌詞に出てくる
「昔は良かったね」と過去を懐かしがることについて、
「本当に嫌だから」とネガティブに捉え忌避している部分が
ずっと頭の片隅に引っかかっていました。
「過去に囚われずに前へ」という姿勢に理解はありつつ、
歳を重ねていくごとに美化されていく過去を振り返り、
ロマンチシズムやノスタルジーに浸る時間は必要と考えていて、
「過去への憧憬」に抗うことは根源的には難しいであろう、と。

アマチュアカメラマンとしての“現役時代”を回想してみると、
リアルタイムで活躍していた時代を知らない若い鉄道ファンも
蒸気機関車を夢中で追いかけている姿をあちこちで
見かけることが出来ました。
また、最近テレビに出てくる若いタレントさんなどは、
「80年代のアイドル歌手が好きなんです!」とか、
「昭和初期の歌謡曲をよく聴いています。」と言って、
古いポップカルチャーにも積極的にアクセスしているようです。

時間軸や物理的障壁から自由になって、
「古い」から悪い。「新しい」から良い。ではなく、
古かろうが新しかろうが、良いものは良い。

私がいままで小難しい理屈をこねくり回して、
仏教の概念まで持ちだしてたどり着いた境地に、
彼ら若者世代は生まれながらにして
享受することができる「IT技術」を使いこなして、
物理的・時系列的な障壁を一気に飛び越えて
到達してしまっているように見受けられます。
「古い=ダサい」という固定観念は、
右肩上がり一辺倒の「昭和時代」が作り出した
遺物と化していくのではないでしょうか。

但し、それは私が行ってきた思考訓練を
否定するものには成り得ないとも考えています。
悩みながら、迷いながら、試行錯誤を繰り返して
遠回りして得た知識なり技術でなければ、
本当の意味で自分の身になったとは
言えないのではないか?
元プロ野球選手のイチローさんも、
確かそんなお話しをしていました。

これからは私も、「昔は良かったね」と思うことに対しての
罪悪感というか後ろめたさのようなものから解放されて、
心置きなくノスタルジア(郷愁)に想いをはせ、
我が「心の原風景」のなかに身を置いて、
ロマンチシズムを反芻(はんすう)することができそうです。
それを人は、「心の旅」というのかもしれませんね。

もちろんこれに満足することなく、
それこそ「執着」や「バイアス」に囚われることなく、
これから経験するであろう出来事を踏まえて、
吟味を重ねていこうと思っています。


何か、面白いこと無いかな~?